内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

言葉について断章 ~木がものいう不思議 ひとことに宿った力~

榛谷 泰明(はんがい やすあき)

 「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(日本聖書協会訳)と始まる書物がある。ただし、「初め」がいつなのかは明記されていない。
 人間の誕生の時なのか、類人猿の誕生時か、動植物の誕生時か、それとも地球誕生の時なのか、この思弁の書では触れていない。触れずに「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」と続く。初めを曖昧にしたまま、思弁は続いていく。

 言葉を介さずとも、相手の思考を見抜ける人がいる。一見、普通の人だが、その得意な能力のために、巷間では「カミサマ」と呼ばれたりもしている。私の乏しい経験でも、数人と対面している。しかし、そのような人は例外中の例外であって、大抵の人は言葉を介さなければ、気持ちなり思想なりを伝達できない。

 1970年代、私は民話をお年寄りから聴くべく、日本中を旅した。約三百人の語り部さんから二千話以上の民話を聴いた。
 かつて日本の家屋には囲炉裏があり、そこが家族団欒の場であり、祖父母が孫に話を聞かせる場だった。高度経済成長の時代、家屋の建て直しが進み、囲炉裏がなくなり、子どもは各自の部屋に閉じこもる、かくして祖父母は語る機会を失ってしまった。

 「言霊の幸ふ国」という表現が『万葉集』にある。上代では言葉に霊威があって、その力がはたらいて言葉通りのことが実現する、という考え方だ。言葉には不思議な力がある、と信じられていたわけで、その信仰は連綿と後世に続く。
 上代ついでに、720年成立の『日本書紀』では、ニニギノミコトが高天原から「葦原中国は磐根・木株・草葉も猶能く言語(ものい)ふ」
 この文章から、高天原は木や草がよくもの言わない所だったのに対して、本邦は植物だけでなく、磐根、すなわち鉱物までが「言語ふ」国だった、ということになる。

 昨今、自分の思いをうまく言葉にできなくて、それが齟齬の原因となり、ひいては犯罪の遠因にもなっている、との意見を聞く。「話せば分かる」は通用しなくなったのか。
 「チャンラケ」というアイヌ語がある。議論とか談判の意味。アイヌの人々には、もめごとを腕力に託すのではなく、交渉で解決する、お互いが納得いくまで話し合う、という習わしがある。彼らは、動植物のみならず、自然の一切にカムイが宿るとの強い信仰を持っている。それは私たちの祖先・縄文人の信条に通底しているかもしれない。

 私は植物と話す人に何人か出会った。その一人に増山たづ子さん(大正六年生まれ)がいる。「写真ばあちゃん」として有名な人だ。
 たづ子さんは岐阜県徳山村で生まれた。伊勢湾に注ぐ損斐川の最上流である。彼女には「友達の木」があった。家の対岸にそびえる柞(ほうそ)の古木、それが友達だ。若いころから、何かあるたびに彼女は木に話しかけた。つらいこと、悲しいことがあると川岸に立ち、木にそれを告げた。木はいつも彼女を励ましてくれたという。
 徳山村はダム建設のため、廃村になった。地図からも抹消された。彼女が村を去る時、友達の木は朽ち、あたかも身投げするかの如くに損斐川に倒れ込んだ…。

 一つの「ほめことば」が人生を支えることがある。昔、草野球をしていたころのこと、一点負けていた我がチームの攻撃中だった。二死で走者が塁に出た。打席に入った者にベンチから大声がとんだ。「○○さんに回せよ!」と。○○さんは次の打者で、その日よく当たっていた。彼に打順が回れば、点が取れる、という期待からだった。
 あれから三十年、彼○○さんは今でもその声を思い出す。励ましの声、いや彼にとっては特上のほめことばだったのだ。酒を飲むと、彼は「あの一言がぼくを支えている」と、うれしそうに述壊する。