内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

老いと手仕事

篠田 節子

 

「育てて収穫するまでは、そうたいへんじゃないの、問題はその後よ」

 

昨年、初めて自分の畑で小豆を作った友人が言う。

 

「虫食いはあるし、黒くなったのはあるし、それを一つ一つ手で取りのけていくのよ。売ってる小豆って、どうしてあんなにきれいなのかしら」

 

「そりゃ、農薬、殺虫剤を山と浴びせかけて、そんな手間、省くんじゃないの」と私。

 

緑側の日向に新聞紙を広げ、豆をあけ、両手の指先を使って、虫食いやしわの寄った物をすいすいと端に寄せていく。きれいな豆がたまると、ざらざらとボールに移す。それを延々と繰り返す。

 

幼い頃に祖母が送ってくれた小豆は、炊く前にこんな作業をするのが当たり前で、それは子供の仕事だった。

 

 

しばらくたてばボールはつぶぞろいの豆でずしりと重くなっている。シジフォスの神話と違い、その重みに小さな達成感がある。そして翌日にはその豆が赤飯やおはぎに変わっている。

 

しかし普段、会社勤めやパートタイムをしているウィークエンド・ファーマーが、手間隙かかる作業にかかりきりになっているわけにはいかない。音を上げるのも無理はない。

 

収穫物の処理に限らず、体力も技能も集中力も根性もいらないが、とにかく時間だけはかかる手仕事というのが、身辺には数多くある。

 

昭和三十年生まれの私が子供の頃は、そうした手仕事を担う人間が確かにいた。子供の他には、女の年寄りがそんな作業に携わった。

 

数年前、キプロスの田舎に行ったとき、農家の裏口に座り込んで、豆を鞘から外している老人の姿を見た。不思議な既視感があった。

 

夫を亡くした女性が、その後、何年も、時には死ぬまで着用している、という黒づくめの服は、色あせ、太い腰回りには穴があいていた。地中海の強烈な陽射しがブドウの木で遮られ、涼しい風の吹き抜ける戸口で、彼女は、手先を動かしていた。せっせと、という感じではない。心は別のところにあるようだった。脳梗塞の後遺症なのか、片手はほとんど用をなさない。

 

近所の人が訪れれば、おしゃべりを始めるだろう。しゃべりながら手は相変わらず動いているだろう。

 

座り疲れれば、豆をそのままにして、やれやれと腰をたたき、体を左右に揺すりながら、お茶をいれに台所に戻っていくだろう。

 

異国の島で目にした喪服姿の老人に、私はかつて私の回りにいたばあちゃんたちの姿を重ねていた。

 

庭先の草をむしって鶏にやる。近所の年寄りとしゃべりながら渋柿の皮をむく。

 

気が付いてみると、老人たちのそんな姿は身辺から消えている。

 

家族の手につかまれば歩いてトイレまで行かれる年寄りが、清潔そうな和室のベットの上で、ぼんやり窓の外を眺めている光景が、心温まる家庭内介護の図として、テレビで紹介されていた。

 

団地の集会所で高齢者の方々が、若い保健婦さんの指導で、ふりをつけながら童謡を歌っていた折、後ろの方で手拍子を打っていたおじいさんの「幼稚園じゃあるまいし」という吐き捨てるような呟きを耳にした。

 

老人ホームの集会室に行ったときには、講師の指導のもとに、老人達が色とりどりの折り紙を折っていた。

 

安楽な最晩年に待ち受ける無為の光景の寒々しさに、慄然としたのは私だけだろうか。

 

孫の子守りをできるのは、中年と「ヤングオールド」だけだ。(子守りが必要な孫の歳を考えれば、その祖父母の年齢がいかに若いかがわかる)

 

ハッピーリタイアして創造的活動や旅行、その他趣味に生きられるのは、健康で勝ち組に回った「ヤングオールド」の特権だ。

しかし本格的な老いを迎えたとき、社会一般の年寄りではなく、私自身はどうするのだろうか。

 

 

身も蓋もない本音を言おう。

 

「その前に死んじまいたい」

そういうヤツに限って百まで生きる。

「長編を仕上げ、『完』の文字を打ち込みつつ、椅子から転げ落ちてこと切れる」

 

そんな歳まで注文が来るはずがない。

現役を引退し、体力、知力ともに衰えた後も、人は生き続けなければならない。

残酷なことには、ケアされ生きられる状態にあっても、人は必要とされる状態にあっても、人は必要とされる何かをしたがるし、できないと体と心のバランスを崩す。

出された食べものをつき回し、手でこね回す。ときにはすでに自分が出したものをこね回す。現役世代を震え上がらせるグロテスクな行為の向こうにあるのは、幼児のそれとは異なる、求めてやまぬ手仕事への渇望であるような気がする。

効率だけでなく高い精度までも要求する現代社会が、金にならぬ手仕事を生産の現場から遠ざけてきた。小さな汚れや、間違い、一粒でも虫食い豆が混じることを許さぬ不寛容さが、心身ともに衰えた者から仕事を奪ってきた。

幸い、日常生活の中には、創造的ではないが、体力も集中力も必要なく、間違えたところでさほど痛くはない手仕事が山ほどある。それを再分配することはできないだろうか。

 

選り分けた豆の重さに小さな達成感を覚えながら、おそらく人は最晩年を生き、死ぬことができるのではないかと思う。