内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

矢作町馬越で生まれて 閑董院さまと私(抜粋)

語り手  菊池(きくち)もと子(こ)さん

昭和12年(1937)年陸前高田市矢作町馬越生まれ、在住。

 

学生時代のこと

――もと子さんが学生時代のころって戦中戦後にかかってたかなと思うんですが、そのころのことを教えてくださいますか?

もと子 戦争は小学校3年生の時までね。当時、4年生以上の人は矢作駅まで旗っこ持って「勝って~くるぞと勇ましく~」って兵隊さんをお見送りしました。私たち低学年の生徒は忠魂碑までだね。今の山崎。そこまでお見送りに行きましたし。あとは、国事の祝祭日があるでしょ。その時はね、学校に奉安庫って、天皇さまのお写真を祀ってだ社があったのね。そしてみんなはね、校庭で頭を下げて。「絶対頭上げてわがんない(いけない)」って言われだんだけども。でも「見だいもんだな」ど思うがすと。そうしてね、見だ覚えがありますね。最敬礼してこうやって見だけんとも、今思えば、写真こなんだよね。校長先生がモーニング着て持ってくるの。あど、小学校時代は戦争中だから、校庭はみんなサツマイモ、ジャガイモ、カボチャ、全部畑でした。して、歩ぐどこだけ残してね。あと4年生5年生になってがら稼いだね。ちょっとしたよその畑借りで、山のどこね。ほんだからね、ほんとはもっともっと利口だったんだけんと。勉強する暇にゃがったの。

――ほかにはどんなことをしてましたか?

もと子 あとは秋になればストーブにね、燃やすための薪木を背負いにね、ちっちゃいくせに大人んな(大人用の)着けられっから肩がら外れでわがんにゃあの。それで背負って校庭までね。そうすっと父兄の人だぢが来て、薪木を切ったんだよね。それは秋の仕事だね。そして教室の前さガーッと高ぐ並べてね。

冬はね、ストーブさいっぱい燃すの。そしてあのころは近い人はお昼を食べに家に帰ったし、私だちみたいな遠い人は弁当持ってぐの。んで寒いがら、ストーブの下さ弁当入れでおぐんです。そうすっとタクアンの匂いだのねえ、味噌の匂いだのって。もう、フガフガフガフガど匂ってくるの。そういうのだったし……ね、忘れられないほんとに。

――そのころの先生はどんな人だったんですか?

もと子 おらどの担任の先生には「だりゃおめだぢバガだ、おれぁあれぐれぇ教えだのに」っつうがら、「先生でねぁ先生に教えられれば、もっとおらどよかったのにな」ってね、冗談言ったけんと。本当に勉強は二の次で、まず食べていくこと。農繁休業が10日くらいあったんだいが。春秋に……2回ずつで家の手伝いをしなさいっていうことで。だりゃあ、今みだいにクラブも何も、学校毎日行がないばなんないわげでないし。そして、戦争当時の先生だったがら、おっかにゃがったね。軍隊上がりの先生どがね、何が悪いごどすっと廊下出されでバケツ持だせらいだりね、それは家さ行って言うど、「おめが悪いがらだ」って言われっから言わないしす。そういう生活だったけど、今思えば懐かしいね。

――馬越で生まれて、今もずっと暮らされているもと子さんから、今日はいろんなお話を聞かせていただきました。

高田のじいちゃん・高田のばあちゃん

こころのたからもの

陸前高田昔がたりの会 語り場の記録

第9回 2017年1月15日(日)