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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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徒然日記

平家の高鍋

①「平家の高鍋」と思い込み  倉の内外 よもやまばなし

倉敷考古館  学芸員

 

ともかく多くの人に、「平家の高鍋ということを、知ってますか」といって、聞いてみたいのだが・・・・・・私たちの周辺で、多少とも考古学に関心のあるような2~3の人たちは、知らなかった。ただ考古館に勤める私ども2人は、半世紀以上も昔から、この言葉だけは知っていたのである。ただ誰から聞いたのかは、2人ともまったく記憶が無く、別々に聞いた物だったようだ。しかも何を意味しているかなど、互いにわざわざ話し合う必要も無く過ごしてきたのだった。

中略

「平家は戦場にまで、高鍋持参で料理していたので負けたのだ。」これが平家の高鍋なのだ・・・と誰からか聞いたように思い込んでいたのが、私の理解であった。そこで時代的にも丁度合致しそうな先の三足器の出現が、このような話を生んだのか、とこれもかってに思っていたことだった。

ところが考古館のいま1人は、「平家は鍋を火にかけるとき、高い位置にかけたので、早く煮え合理的だった」これが平家の高鍋だと思ってきたようである。別に三足鍋との関係など思っていない。

遠い昔に聞きかじっていた言葉が、日々顔を合わせ、同じ仕事をしている者同士で、このようにまで理解が違っていたとは・・・・いったい「平家の高鍋」などということは何処から出てきた言葉なのか、恥ずかしながら、今頃気が付くようなことであった。

そこでちょっと調べてみると、岩手県遠野出身の佐々木喜善(1886~1933)著『聴耳草紙』の中にある話題に「平家の高鍋」と言うのがある。これは「源氏は鍋を低くして炊き、平氏は高くして炊いたので早く炊けたので戦いに勝った」と言うような話のようである。ようであるとは全く無責任なことで、申し訳ないが、原典に当たりえなかったので、ご容赦を・・・・筑摩叢書1964年に『聴耳草紙』がある。

この佐々木喜善は、民俗研究者の中では著名な人物、この人の民話収集を基にして、有名な柳田國男の『遠野物語』が書かれたと言う。彼は祖父が語り部であり、400篇以上の民話収集をおこなっている。地元では村長も勤め、宮沢賢治などとも交友があったと言う。

しかし考古学の世界で、一体誰が彼の民話の中の「平家の高鍋」を話題にしたのか、私どもより1~2世代前の先生方の誰かだったのだろう。どのような鍋をイメージして話題にしたのか。どこかで聞いたはずの私たち2人が、全く部分だけの記憶で、私などは反対の結論をおぼえていたのである。

あいまいな伝承の恐ろしさ、瀬戸内の私などは、瀬戸内での源平合戦・平家の滅亡が頭にあることから、平家を負けたことにしてしまったのであろう。伝承だけではない、同じことでも思うことの違いと、思い込みの怖さ、妙な鍋から思い知らされた。

さて三足鍋が、時代の変わり目に丁度出現したこと、こちらの方こそ、わたしたちの考える仕事だろう。

 

②遠野物語拾遺 19    京極 夏彦×柳田 國男  角川文庫

 

栗橋村字早栃には、平家の高鍋という諺(ことわざ)がある。

源平の戦があった頃。

早栃でも合戦が行われた。両軍の力は拮抗し、中々勝負はつかなかった。やがて食事時になり、両陣営とも飯を煮て食った。

源氏は、戦の最中なのであるから、とにかく一刻も早く煮えた方が良いと考え、鍋を低く下げた。火に近づけた方が能(よ)く煮えると判断したのである。ところが中々煮えない。

平氏は逆に鍋の位置を高くして、下に入れられる薪の量を増やした。薪は勢い良く燃え盛り、こちらは忽(たちま)ちに煮えた。飯の出来も良かった。

その故事に倣(なら)って、早栃の地では物を煮るには鍋を高くせよと、謂い伝えるのである。平家の高鍋とはそういう意味の諺である。