内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

仰げば尊し

藤原 正彦 週刊新潮 2015年3月26日号

 卒業式シーズンがやって来た。日本中の至る所で、卒業生が私の大好きな文部省唱歌「仰げば尊し」を歌っているのだろう、と思っていたらそうでもないようだ。中学校や高校では「旅立ちの日に」という歌の方が人気という。二十年ほど前に埼玉県の中学校の先生が作ったそうだ。

 明治以来の「仰げば尊し」の人気が落ちた理由は三つあるという。

 一つ目は「いと疾(と)し」「今こそ別れめ」「やよ忘るな」などの文語が難しいということらしい。文語だから良いのだ。文語は明治大正昭和の豊穣な日本文学を産んだ言葉で、日本人なら少しずつ慣れていかねばならぬものである。「仰げば尊し」は子供達が本格的な文語に触れる最初の機会なのだ。「難しいから歌わせない」が通るなら、漢字も数学も「難しいから学ばせない」となる。たとえ難しくても、教えるべきものは教えねばならない。

 第二の理由は「仰げば尊し我が師の恩」は先生への感謝の念を生徒に押しつけている、ということらしい。杞憂だ。小中高とこれを歌ってきた私自身、押しつけがましいなどと思ったことは一度もない。それに、学校で先生が生徒に敬われ、家で親が子に敬われるのは人間のあるべき姿である。

 第三は「身を立て名を上げ」が、立身出世を奨励していて民主的でないということらしい。身を立て名を上げとは、「大成する」「一角の人物になる」の意味だ。大成を望むことのどこに問題があるのだろう。民主主義のチャンピオンのアメリカでは、ほとんどすべての子供が大成を望んでいる。「大統領になりたい」「企業を起こし億万長者になりたい」「エジソンのような大発明家になりたい」などと口々に言う。

 我が家ではイギリスから帰国してすぐ、息子達が向うの小学校で覚えた英語を忘れぬよう、二十五歳のアメリカ人女性に家庭教師を頼んでいた。彼女も私に「アメリカ合衆国大統領になりたい」と真顔で言った。思わず笑ったら「本気です」と目をむいた。中国人のほとんどは「金持になりたい」だ。

 どんなものであろうと、子供が大志を胸に抱き、それに向かって頑張ることは実に素晴らしいことだ。その過程で夢破れ挫折することすら、後になっては人生の懐しいドラマでありエピソードとなる。

 大成を夢見ることのどこが非民主的なのだろうか。子供達が大志も抱けないような社会は、活力のない末期的な社会だ。「プロサッカー選手になりたい」「先祖伝来の農業を継いで日本一おいしい野菜や米を育てたい」など何でもよい。すべての子供が大志を抱くよう指導するのが教師の役目ではないのか。

 実は私が「仰げば尊し」で最も感動する部分はまさに、「身を立て名を上げ」なのだ。一番で徐々に物悲しさを盛り上げられ、二番途中の「身ウォーー立て」のウォーーの部分でトーンが一気に高くなると同時に、こちらの気分も高揚し涙がこみ上げる。小学校でも中学でも高校でも同じだった。級友を見てもこの辺りで鼻や目をこすり始める。反戦映画の「二十四の瞳」には「仰げば尊し」を歌う場面があるが、やはり同じだった。

 本当のことを言うと、私はこの歌の歌詞を押しつけとも立身出世とも思わなかったどころか、高校生になっても意味さえよく分っていなかった。涙がこみ上げたのは、物悲しい調べの中で、「別れ」がこらえ切れぬほどに悲しかったのだ。先生や友達との別れではない。先生や友達なら卒業した後でも気が向けばいつでも会える。「別れ」そのものが悲しかった。歌詞など分るはずのない小学六年生でも、多くは「仰げば尊し」で涙を流す。彼等も「別れること」ではなく「別れ」が辛いのだ。

 過去を振り返ると印象に残る悲しみというものはどれも「別れ」と関わっていたような気がする。人生とは別れの堆積なのだ。子供達も人間のこの根源的な悲しみに薄々気付いているのではないか。

 そう思うから、「仰げば尊し」で涙する子供達を見るたびに私まで感動する。