内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

人生に意味などない

『心がスーッとなるブッダの言葉』 成美文庫 アルボムッレ・スマナサーラ

 生きていることにはたいへんな意味がある、とよくいわれます。

けれども本当に意味があるのでしょうか。

答えはノーです。それは誤解に基づく考え方なのです。

生きるというのは、単に母体から生まれてきた生物が、年をとって、徐々におとろえてゆき、ついには寿命をむかえて死んでいく、ただそれだけの話です。ですから、生きること自体には意味などないのです。

それなのにこれまでさまざまな文化が長い間にわたって、「生きることはそれだけで尊い」「生きることには意味がある」といってきました。その結果、多くの人々が、「人生には絶対的な意味がある」と思わされてきたのですが、実際にはそんな証拠は、どこを探しても見つからないのです。

「そんなことはない。わたしには人生の目的があります」と反論される方がいらっしゃるかもしれません。でも、「目的」の中身をきちんと見てみれば、そのすべては、実は「目的」などと大層な名前で呼べるようなものではないことに気づくことでしょう。

例えば、「お金をたくさん稼いで、家を建てる」ことを目的としている人がいたとします。何年もかけてお金を貯め、多額のローンを組んで、立派な家を建てた。目的達成です。この人は、その後どうなるでしょうか?

満足して幸せに生きられるでしょうか?いえ、そうはならないのです。家は建てた瞬間から、変わっていきます。最初は傷一つなく、きらびやかでも、住んでいるうちにどんどん傷がついていきます。いろんなところが壊れていきます。壊れたら修理をしなければなりません。汚れたり、ゴミがたまったりすれば掃除をしなければなりません。広くて立派な家であればあるほど、修理や掃除は大変ですね。トイレが一つの家から二つの家に引っ越したら、掃除の手間は二倍になります。広い窓は拭くのが一苦労、広い庭は草刈りが大変です。

都心から近ければ治安が心配ですし、遠ければ通勤が大変。素敵な子ども部屋を用意しても、数年したら子どもたちが自立して不要になります。あるいは逆に、部屋の居心地があまりに良すぎて、「ひきこもり」になってしまったりします。

このように、「家を建てる」ということを目的として、それを達成しても、その人は決して満足はできないのです。

あるいは「会社で出世して、社長になる」ということを目的としたとします。

毎日寝る間も惜しんで働いて、係長、課長、部長……と昇進して、最後は望み通り社長の座についたとします。

新入社員のときは、まだ仕事を覚えていませんから、わからないことがたくさんあって苦労しますね。下働きや残業も多いことでしょう。中堅社員になれば、下積みの苦労は減りますが、今度は上と下に挟まれて、気苦労が絶えません。

テレビや雑誌に出るような有名人になると、家族や友人関係さえも世間の好奇の目にさらされ、一時も心を休めることができません。友人も少なくなります。お金持ちになった後に近づいてきたような友人は、金目当てに決まっています。

事件や事故に遭(あ)うこともなく、社長で退職すれば良い人生かというと、そうもいきません。お金も家もあり、子どもも巣立ってしまって、することがない。そうすると一日は非常に長くなります。退屈もまた苦しいのです。毎日、毎日「今日は何をしようか」と考えるのもしんどいのです。地位も財産もある人は、世間的な意味での「生きる目的」を持ちにくくなります。ハリウッドの俳優やお金持ち、いわゆるセレブと呼ばれる人たちが酒や麻薬で死ぬことが多いのは、このためです。

このように、俗世間で「生きる意味」とか「目的」とか呼ばれているものは、実際にはどれも単に「生きているからやっていること」にすぎないのです。生きているから働く、生きているから家に住む、生きているから人とつきあう。ただ、それだけのことです。そして金持ちも貧乏人も、みな最後は死にます。そこにも意味はありません。

※目的なき人生をどう生きるか

生きることに意味や目的などない。ですから人は、そのときそのとき、自分の年齢に合った仕事をきちんとやって過ごしていけばいいのです。

十代のときには十代の仕事、二十代のときには二十代の仕事、三十代になったら三十代の仕事、……そうやって、そのときあなたがするべき仕事をきちんとやっていけば、遺伝子にプログラミングされた個体としての生をまっとうできるのです。

人間が死ぬことは、どう抵抗してみたところで避けられない事実ですから、「どうして生まれてきたのか」という質問には誰も答えられない。そもそも生きる目的や意味というものがあると思うから、それが見つからないことに悩んだり、自分の存在を否定したり、精神的な混乱に陥ったりしてしまうのです。

こうした悩みをかかえる人に対して、仏教は二つの答えを用意しています。

一つは、いまお話ししたように、そもそも生きることに意味などないんだと知ることです。健康ぐらいは自分で管理できるでしょうから、それは管理して、管理できないことについては放っておきましょう。世の中には「答えのない問い」と「答えのある問い」があります。「生きる意味」は「答えのない問い」です。「答えのない問い」は放っておく。それが理性に基づく生き方なのです。

もう一つの答えは、努力をするということです。

こういうと、何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、動物と人間を分けるものは、自分を成長させるための努力をするかしないか、という点にあります。動物も子孫を残していくために、子を産み、育て、獲物をさがすという努力はしますが、「より良い生活をおくる」ための努力はしていません。人間は、より良い人生をおくれるように自ら学び、成長する生きものなのです。

せっかく動物とは違う能力をもって生まれたのですから、努力して、学んで、どこまでも自分を高めつづけることをお勧めします。そうすれば、かならずや充実した人生をおくることができるからです。

 

 

 

人間はたまたま生まれてきただけです。

そこに「意味」などはありません。