内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

インカブリッジ

なぜ落ちたか 運命の意味 突き詰める

橋をめぐる物語  中野 京子(作家、ドイツ文学者)

 南アメリカのペルーには、かつて高度な文明を誇るインカ帝国がクスコを首都として栄えたが、1533年、スペイン人の侵攻により滅ぼされた。その後スペインの植民地となり、インカ時代の旧跡はほとんど破壊されてしまった(独立は1821年)。

クスコはアンデス山脈に位置し、標高は3、400㍍。なぜこんな高地に首都を定めたかといえば、このあたりは低緯度地方なので、低地より高原の方が気候的に住みやすかったからだ。

しかし植民地時代を迎え、太平洋に面したリマが海路交通に便利だとして、新たな首都に選ばれる。ヨーロッパから多くの白人が移り住むと、たちまちリマは南米で一番洗練された町と言われ、「太平洋の真珠」の異名を取る。

このリマからクスコへ至る北の街道筋には、峻厳(しゅんげん)なアプリマク渓谷があり、目も眩(くら)む高さに吊(つ)り橋が架かっていた。「インカの吊り橋」と総称される橋のうち、もっとも長い橋だ。インカの伝統技法を使い、柳の枝を編んだ縄で作られている。手摺(てす)りは干した葡萄(ぶどう)の蔓(つる)だ。

名前の無いこの橋にインスピレーションを受け、ソーントン・ワイルダーが小説『サン・ルイス・レイ橋』を書いて、ピュリッツァー賞を受賞した。

物語は――

植民地になって200年近く経(た)つ、18世紀前半のペルー。多神教は追いやられ、カトリック一色に染まっても、インカ吊り橋は昔のまま揺れていた。

クスコに近く、国内でもっとも美しいと讃(たた)えられていたのは、サン・ルイス・レイ(=聖王ルイ)橋。渡った先には小さな泥壁の教会堂があり、橋は聖王ルイに護(まも)られて未来永劫(えいごう)落ちないと言われていた。

馬や馬車、荷運び人などはさすがに通れないので、崖を迂回(うかい)しながら降り、筏(いかだ)で川を渡らねばならない。もちろんその方が安全なのだが、しかし皆、橋を選んだ。その数、毎日数百人。

ある夏の暑い日、主人公たるフランシスコ会の修道僧が山を登ってきて、ふと橋を見下ろした。何の予感もなく、安らかな気持ちで目をやったのだ。その瞬間、橋は真っ二つに裂け、ちょうど渡っていた5人の人間が、手足をばたばたさせてはるか下の急流へ落ちていった。

修道僧は激しく動揺し、なぜ神は、他ならぬあの5人を選んだのか、彼らが世を去らねばならなかったのは神の摂理なのか、そうであるならそれを突き止め、伝道の一助にしたい、何としても突き止めねばと思いつめる。

数年かけて修道僧は、5人(皆ヨーロッパからの植民者)のそれまでの人生を詳しく調べ、1冊の書物にまとめた。彼の結論は、善良な者は年若くして天国へ召される、というものだった。

ペルーであっても、スペインの異端審問所の力は及んでいた。裁判官はこの書物を異端の書と認定し、書いた修道僧を悪魔の手先と断定した。修道僧は生きたまま焼かれ、本も火に投じられた。

描写が非常に絵画的なので、青空のもと、アンデスの山に頼りない梯子(はしご)のように架かっている吊り橋を、ヨーロッパのファッションをそのまま持ち込んだ白人5人が、おっかなびっくり渡る様子がくっきりイメージできる。そしてその遠目に美しい光景は、一転、地獄へと変じたのだ。

何世紀も昔から山に暮らし、高所恐怖症には縁のない人々が手作りした橋である。多神教の彼らの土地に一神教をもたらした西洋人は、明日もまだ架かっているかどうか心許(こころもと)ない素朴な吊り橋を、キリスト教の聖人に守護されていると無理やり信じることで渡り、落ちたといってショックを受け、神を冒瀆(ぼうとく)したと火炙(ひあぶ)りにする。

すべては人知が及ばぬ運命の手にあったのか…。