内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

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吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

くすり問屋

―道修町の今昔より抜粋―

           長倉 音蔵・木村 康一・高橋 真太郎

             坂口 弘・西岡 一夫・気賀 林一

     漢方の臨牀 第13巻・第8号 昭和41年8月25日発行

 

漢薬を語る―1― ―京都木屋町にて―

 

長倉 それから当時道修町の組合長になられた方はどういう人たちかと申しますと、武田、田辺、塩野さんのほかには三国さん、菅井さんで、のちに藤沢友吉さんも組合長になられたことがありました。

気賀 塩野義さんと言わないで塩野さんと言つていたのですか。

長倉 それは塩野義兵衛さんと塩野吉兵衛さんと両方あつたから塩野義兵衛さんの方を塩義と言い、吉兵衛さんの方を塩吉さんと言つていたのです。それで塩野と言えばだいたい塩野義のことを言つていたのです。

気賀 しかし、今は塩野義さん1つでしよう。

高橋 いや、今は塩野義製薬と塩野香料と2つあるのです。そして塩野香料の方は富樫さんという方がやつておられますが、もともとはいまお話のように塩野吉兵衛さんがやつておられたのでして、それをうけついだのです。それで塩野義には分家があるのですが、本家の方は製薬会社をやり分家の方は香料関係というように業種を分けたのですから、両方いまありますが両方とも親戚うちです。ですから、塩野義というのは前の社長塩野義三郎さんの義をとつてつけたのでしよう。

長倉 こういう老舗は武田長兵衛さんとか田辺五兵衛さんのように何代も襲名していますからね。小野市兵衛さんの小野薬品にしてもそうですしね。

高橋 小野市兵衛さんといつてもいまの社長は小野雄三という方ですが屋号は小野市兵衛ですね。この小野市兵衛というのは、なかなかの名門で、ある時期にはむしろ武田より大きかつたこともあるんですよ。

長倉 明治の末期から大正初期にかけては田辺さんがいちばん金持だつたそうですね。しかし不動産を多く持つていたという点での金持は塩野吉兵衛さんや小野市兵衛さんだつたかも知れませんよ。

しかし、道修町の薬問屋でほんとうにいちばん旧(ふる)い家といえば小西屋の総本家ですね。この小西屋の総本家というのは、大阪の瓦町3丁目に白井清兵衛さんという顔料屋があつたのですが、それが小西屋の総本家だということを聞きましたが……。

高橋 大阪城を築いた太閤秀吉が朝鮮征伐に行つた例の小西行長の子孫が薬屋になつて、それが小西の総本家だというんですが……。

長倉 小野市兵衛さんもその当時からのくすりやさんだと聞いています。

気賀 いずれにしても、そのあたりはみな名門ですね。小西、小野、武田、田辺、塩野義などはずつと今につづいているわけですね。

高橋 これは余談になりますけどおもしろいはなしがあるんです。それは、私の友人で岡本明保君というのがいるんですが、その男が田辺の労働組合が結成されて組合長になつたとき、いろいろと交渉をしなければならない関係上、当時の田辺五兵衛社長に逢つたそうです。そのとき田辺社長が言うのに、岡本君、きみはいま新しがつて

そんな無茶なこと言うけど、道修町には古いしきたりがあつて、そのしきたりはちよつとやそつとでできたものではなく、やはり必要があつてできたものだ、そのしきたりもわるいところもあるかもしれんが、いいところもあるんや、だからそういつたことも加味して組合の労働運動をやつてくれんと困るんやと言われたそうです。

そこで岡本君が、社長は古い古いと言われるけど、どれほど古いのですかと聞いたら、社長は、わしとこかいな、わしとこは江戸時代から続いているんやから、今から言うたら170~80年やろうなと答えたそうです。すると岡本君が、たつた170~80年ですか、わたしのところは、もつと古いですぜ、わたしとこは、上賀茂神社の社家(旧家)で神武東征以来八咫(やた)烏(がらす)の族以来の家柄やと言つたら、田辺五兵衛さんもこれには一本参つて黙つてしまわれたというはなしがあるんです。(笑声)

気賀 その話で思い出しましたが、ある人が近衛さんに、お宅はお古いお家柄ですから、古い道具をたくさんお持ちでしようねと言つたら、近衛さんが、いや戦争でやいちまつたから大したものはないですよと言われたので、いつの戦争ですかと聞いたら、応仁の乱のときですよ、と答えられたそうです。(笑声)

 

〔附〕     近衛家旧蔵の古薬籠について

 

矢数 道明  漢方の臨牀 昭和49年7月25日発行

 

江戸時代宮中の側近、五摂家の筆頭近衛家に所蔵されていたという古薬籠を、紀伊国屋漢薬局へ持参、その内容について調査を依頼された人があつた。その現在の所有者は早稲田大学文学部出身の山口俊之氏で、山口氏は佐賀県の人、先祖は代々医科であつたが、祖母の時代に、なぜか理由は判らないが近衛家より拝領したということであつた。

私は紀伊国屋漢薬局よりこれが調査を再委嘱され、開蓋してみるといかにも興味溢れる資料に充ち満ちていた。

―以下、略―