内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科
吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。
高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に
内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

各種
保険取扱

吉川内科小児科 生薬方剤による漢方診療(保険適用)

吉川内科小児科は、愛知県名古屋市中村区、名古屋市立豊臣小学校の西にある内科小児科医院です。高血圧や、肥満などメタボリックシンドローム、リセット禁煙、漢方診療(保険適用)を中心に内科・小児科・アレルギー科・リハビリテーション科の診療をしています。お気軽にご相談ください。

徒然日記

きずなと思いやりが日本をダメにする

(長谷川真理子と山岸俊男の対談)  集英社

 

  • プレディクダブルになろう

山 岸 それではどうやったら「びくびく」せずに友だちを作れるようになるのか――私はその答えは「プレディクダブルになる」ことだと考えています。

長谷川 プレディクダブル、つまり予測可能な人間になる、という意味ですか。

山 岸 「思いやりを持ちなさい」というお説教がなぜ良くないかというと、しょせん相手の心は見えないからなんです。見えない心を読み取って、相手のために行動しなさいなんて言われても、そんなことは不可能ですよ。

長谷川 もちろん人間は進化のプロセスの中で、相手の立場になって想像する能力は持ったわけですが、それはあくまでも想像でしかないし、また、それがある程度有効に働くのは、小さな集団の中で生きている場合だけのことですよね。

山 岸 小さな、閉鎖的な村の中で暮らしている分には「思いやり」は可能かもしれません。一年三六五日、顔をつきあわせて生きていれば、だいたい相手の考えていることは想像もできるでしょう。でも、これだけ流動性が高く、規模も大きな社会では適切に相手の気持ちを忖度するなんて無理ですよね。

長谷川 だから、みんなびくびくしちゃうんでしょうね。相手の気持ちをはたして自分が正しく読み取っているのか分からない。でも、相手の心を読める人間にならないといけないというプレッシャーがある。

山 岸 相手の心は分からない。でも、自分自身が「分かりやすい人」になるのは可能だと思うんです。

長谷川 それがプレディクダブルになるということですね。

山 岸 自分の価値観や考えていることを旗幟(きし)鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動する人間になる。そうすることによって信頼される存在になる――それが「味方=友」を増やす最良の方法だと私は思います。

長谷川 つまりそれは他人と自分との違いを明確にするということですよね。それとは反対に「私はあなたと同じ考えですよ、どこまでも賛成しますよ」という人がいたら、そんな人はビジネスでも学問でも必要とされません。

山 岸 そういう人と共同作業をしたところで、何も新しい成果は生まれないわけですからね。

長谷川 プレディクダブルな存在であるというのは、言い換えれば個性的であれということだし、多様性を歓迎せよということになると思うんですが、これくらい今の日本に欠けているものはない。

  • タイタニック号の救命ボート

長谷川 そう言えばこんなジョークを聞いたことがあります。

タイタニック号が氷山にぶつかって沈没しかかっている。みんなを乗せるだけの救命ボートがないので、船員は男性客に向かって「ボートを女性や子どもたちに譲ってください」と説得するのですが、その際に船員が言った決めぜりふはこうでした――。

アメリカ人に対しては「ご安心ください、ちゃんと保険がおりますので」。

イギリス人には「あなたはジェントルマンですよね」。

ドイツ人には「これが決まりですので」。

そして日本人には「みなさん、そうしていらっしゃいますので」。

山 岸 よくできたジョークですね。ジェントルマンとは、プレディクダブルな人間という意味だと捉えることもできそうです。

そういえば無人島に漂着したとき、各国の人間がどのように行動するかといったジョークのオチが「そして日本人は本国にファックスを送って指示を仰いだ」というやつを聞いたことがありますよ。

  • 多様性とは「違うこと」に耐えること

長谷川 はたして日本の教育がどれだけプレディクダブルな人間を育てられているかというと、これは壊滅的ですね。

山 岸 ショウ・ザ・フラッグ、つまり自分の旗を掲げて行動するという生き方と最も遠いところにあるのが「空気を読む」です。

長谷川 なるべく旗色を明らかにしないのが空気を読むということですものね。自分たちは空気を読む生き方をしていながら、大人たちは若者に「個性が大事」「多様性の時代だ」「共生社会だ」とお説教をする。

山 岸 そういう人たちの考える「多様性」とか「共生」というのは、結局のところ「みんなで仲良く」という、思いやりの世界なんですよ。そうした世界では言行一致などは必要ではないし、自分の頭で考えることも求められていない。「思いやり」を最優先にしたら多様性も共生もありませんよ。

 多様性とは要するに「世界観や思想が違う相手であっても尊重する」ということでしょう。そして、そうした多様性の世界に自分自身も参加するならば、まずは自分の世界観や原則を明確にしないといけないし、それに基づいた行動をふだんからしないといけません。

長谷川 今の日本の「思いやり」って、要するに議論や衝突をできるかぎり回避しましょうということなんでしょうが、それって簡単に言えば「あなたには興味がありません」ということでもある。「みんな違ってみんないい」という言葉が最近、流行っているようだけれども、みんな違うっていうのは本当は大変なことであって、簡単に「いいね」とは言ってほしくない。

山 岸 みんなが違うというのは事実ですが、その違いを乗り越えて一つの社会を維持していこうというのは大変な努力が必要です。相手を傷つけることを恐れていたら議論だってできません。

長谷川 今の若い子たちが何も言わないのは、それなんじゃないかな。傷つけたくないし、傷つきたくもないし、傷つけられたと思われたくもない。だから何もはっきりしたことを言わないんですよ。

山 岸 そういう関係性からは多様性のある社会を作り出すことはやはり無理ですよ。多様性を重んじるなら、思いやりやきずななどといったものはとりあえず諦めなくてはいけません。おたがいに違っていて、分かり合えないのだというところからスタートしないと多様性のある社会は永遠に出来てこないと思います。

 もちろん、だからといって相互理解への努力が不要だというわけではありません。自分とは違う相手が、どのような論理や価値観に基づいて行動しているかを把握することは重要です。

長谷川 今は「寄り添う」なんて気持ちの悪い言葉が流行っていますが、そんな必要はどこにもないですよね。「あなたと私は違う」というところからスタートするのが本当の理解ですよ。

 山 岸 それは私のやっている研究でも同じことで、たとえば経済学者を相手に話していると、いったい彼らが何をやりたいのか、何が面白いと思っているのか分からなくて呆然とすることがしばしばあります。でも、そこで「共感できないから理解する意味はないのだ」と決めつけては多様性は担保できません。かといって「まあ、ケチをつけるのも何だから、とりあえず黙って聞いておこう」と思いやりを発揮するのも生産的ではありませんよね。「分からない」ということを乗り越えてちゃんとコミュニケーションをし、議論を深めるには、彼らの背景にある一貫した世界観や論理体系を理解して、その立場からは世の中が自分とは違って見えることを知る必要があります。

 大変なことなんですよ、多様性を認めるというのは。思いやりの心を持てば済むような簡単な話ではありません。